「幸せな働き方を体現するためには、コミュニティのポートフォリオを組んでいかなくてはならない時代になりました ── 議論メシ主宰 黒田 悠介さん」

コミュニティ活用法
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黒田さんは東京大学を卒業後、これまでに2度の転職と、社員を抱えての起業を経験。事業の売却に成功後、再びの会社員を経てフリーランスへ転身という経歴を持っています。

現在は3,700名を超えるフリーランスコミュニティ「フリーランスナウ」を運営するほか、新規事業の立ち上げを支援するディスカッションパートナーの肩書きの元、オンラインサロン「議論メシ」を中心に活動中。

異色の経歴を持つ黒田さんですが、今回のインタビューを通して見えてきたのは「幸福度の高い働き方の実現」というキーワードでした。

これまでの価値観が崩れ、成功への定義が変わる中、一足先に「幸せな働き方」を実現している黒田さんですが、その根底にあるのは「未来への危機感」だと話します。

Profile
黒田 悠介/Yusuke Kuroda
「議論で新結合を生み出す」を活動ビジョンに掲げて新しい職業とコミュニティを生み出しているフリーランス。 具体的には1on1での対話型の課題解決「ディスカッションパートナー」を本業としながら、問いでつながるコミュニティ「議論メシ」を主宰。

── 黒田さんはこれまでに何度か会社員をしているほか、起業の経験もされているとのことでした

黒田:2社で会社員をして、3社目は自分で立ち上げていますね。

流れをまとめると、2008年に新卒でマーケティングの会社に入りまして、そこの社員数は100人ほどでした。そこを2年半ほど勤めたあと、小さな会社へと転職します。当時はまだ従業員も20名ほどの会社でした。

そこで色々と任されていくうちに新規事業にかかわるようになり、その流れから子会社となる会社を興し、社長として働くようになります。

── お話を聞くと、お仕事にはかなり熱心に取り組まれていたように思えます。

黒田:仕事の比重はめちゃくちゃ高かったですね。会社員の頃は、どれだけ自分のことを育てていけるかが重要なことでした。

若いうちに時間を投資しておけばそれだけ戻りが良くなるので、いかに自分という資産、人的資本を高めることができるかばかりを考えていました。ですので、どんどん仕事をやるぞ! というつもりではいましたね。

家には全然帰りませんでしたし、プライベートも何もなかったですね。土日出社するような時もありました。それは自分で望んで、ですけれど。

── 会社で仕事を頑張ろうと思ったのは、将来独立することを考えてのことだったのでしょうか?

黒田:私は元々独立する気もそんなになくて、どちらかというと「未来に対しての危機感」が自分を動機づける一番の理由でした。目

標が明確にあったというよりは、このままじゃちょっとやばいなという感じです。東京大学を卒業しながらも大企業に行かなかったのも同じ理由です。

大企業に行って、そのまま社内政治やピラミッド構造の組織の中で、社内最適化されてしまう人生をスタートしてしまうと将来がヤバイなって思っていました。

そのためには、いかに社外でも生きていけるかということばかりを考えていました。

独立するかどうかは別として、ひとつの会社でしか生きることができない状態は「超リスキー」なことという認識でしたので、リスク回避のためにベンチャーへ入社したり、リスク回避のために起業したり、という考え方です。

── その危機感はいつ頃から…。大学に入ってから身についたことですか?

黒田:東大に入ってみたら、自分よりもすごい人たちがめちゃくちゃたくさんいたんです。

そこで自分が「本当に大したことない人間だ」ということに気づいてしまったんです。どんなに成績が良かったとしてもそれは井の中の蛙でした。

自分には何もない、受験勉強しかできない人間だ。そう思ったんです。

そこから自分を高めなければという「危機感」を覚えるようになったので、そういう意味では東大に行って良かったなと思いますし、それこそが大学で得た一番の学ぶでしたね。

── そこまで頑張っていた1社目ですが、2年半後に転職することになったそうですが、それはなぜでしょうか?

黒田:シンプルにいうとルーティンワークが増えてきた感じにまた「危機感」があったんです。やり方もわかるし、マニュアルも作れるし、効率化も可能な限りできるようになってしまい、成長の鈍化を感じたんです。

成長のスピードが落ちた感じがあり、これはちょっとヤバイなと思いました。どこかのタイミングで成長がゼロになってしまったら、そこからまた上げていくのは大変じゃないかと思ったんです。

そうなってしまう前に環境を変えなければと思った。それが2010年10月頃のお話しです。なので、成長欲というよりも、本当に危機感なんですよね。

── 2社目ではどんなことを学ぼうと考えたんですか?

黒田:アクティビティの予約システムとかを作っている会社で、集客の成果報酬型のサービスを展開していました。そこを選んだのは「人数の少ないベンチャー企業だったから」というのが理由です。

1社目も従業員数で言えば100人ぐらいの会社でしたが、それでも構造のようなものを感じたというか、ピラミッドっぽいなと思ったんです。部署間の連携もそんなにありませんでしたし。

そこで改めて、組織というものの形が自分の中では合わないなと思い、できるだけ組織っぽくない会社に行こうと思い、その基準が社員数6-10人ぐらいという規模でした。

── そこでは実際にどのような働き方になったのですか?

黒田:ベンチャーなので何をやってという明確な役職もなく、とりあえずディレクターという役職をいただきつつ、色々なことをやらせてもらいました。

その中のひとつに「新規事業の企画」というものがあったんです。資料を作ったりリサーチをしたりしていましたが、その結果が「起業」でした。

子会社ではあるのですが、自分の会社を立ち上げるキッカケになりました。これが2011年1月のお話です。とにかくガムシャラにこの時は働きました。

結果、事業売却をする頃には数億円の売上が立つビジネスにまで成長していました。

── ここまでで3社目になりますが、この段階で「危機感」に変化はありましたか?

黒田:社長を任せてもらえた経験から、「チャンスって人から与えてもらえるものなんだ」と考えるようになりましたね。

自分でチャンスをつかみ取ることももちろん大事なんですけれど、サッカーのパスと同じで、いいところに走り込むとパスを出してもらえるんですよね。そういう気持ちの変化はありました。

── 最初の頃は自分がまず一番になればっていう感じだったんですか?

黒田:受験勉強の影響も引きずっていたと思います。順番の中でいかに勝つか、上に登っていくか、みたいなのはなくはなかったですね。

小さい規模の社員数100人ぐらいの会社を選んだのも、人数が多いと上にあがるのも大変だろうなっていう気持ちはありました。

ただ結果的には、良いポジションを奪い取ったというよりは、本当にパスをしてもらえたという感じでした。ちゃんと行動して、チャンスがもらえるような、偶然を呼び込むような活動をやっていくことが大切なんだと思います。

── 起業で順調だった黒田さんですが、2013年に会社を売却をして、再び会社員として転職をすることになるのですが、それはなぜですか?

黒田:これは価値観の変化が大きくかかわっています。

それまでの私の人生はこれまでお伝えしたように、「自分への危機感」で動いていたのですが、その時は「日本の危機」みたいなことを感じていました。

自分の会社も伸びていて、事業内容も悪くなかった。社会的にも意味があるようなことをしていたはずなんですが、採用にすごく苦労したんです。人が全然入ってこない。

これってうちの会社だけなのかなと思い、色々調べたり聞いたりする中で、これはほかの経営者も困っていることで、ベンチャーやスタートアップの会社における「優秀な人が集まらない問題」は色々なところで噴出していることを知りました。

これはヤバいなって思ったんですよね。日本がヤバいと。

優秀な若手がベンチャーやスタートアップに行くことが当たり前になったり、起業することがクールだねってなるような状況にしないといけない。そういうことを経営者をやりながら思っていたんです。

── 実にこれで4社目になるわけですが、そこでは「社会課題」を解決するような取り組みが行われていたのですか?

黒田:そう思っています。今でも好きな会社なのですが、仕事内容としては学生のキャリア相談に乗り、「才能の最適配置」をするという人材紹介会社だったんです。

何ができて、将来どうなるためにそれをやるのか? ということを、中長期の10-20年ぐらいのスパンでその人のキャリア設計を一緒に考えていくんです。

率直にいうと、ベンチャー向きの資質の人が大手に行かないようにするとかですね。例えばですが、仕組み化が得意な人が最初から仕組みの整っている大手に行っても社会のためにはならないよね、という考え方です。

あとは単純にそこの社長に惹かれたという部分も大きいのですが、いずれにしても「誰かのために」や「社会のために」「この社長と一緒に何かやれたら」という視点でした。

いつの間にか「自分の危機感」という動機づけからは離れていました。

── その2年後ですが、そこまで思い入れのある会社を辞め、フリーランスになるんですよね。なぜ、起業ではなくて「フリーランス」だったんですか?

黒田:その頃、もうキャリアカウンセラーとして2年ぐらいやっていたんですが、1000人以上の学生さんとキャリア相談に乗る中で、自分のこともやっぱり考えるようになるんですよね。

と同時に、学生さんから「フリーランスってどうなんですか?」と聞かれた時にうまく返事ができない自分に疑問も持っていました。「なんか大変そうだよね」という軽いことしか言えなくて。

自分はこれまでにベンチャー企業の社員も役員も、経営者も経験してきた中で「フリーランス」だけが抜けていたんです。なので「じゃあ、やらなきゃ」という思いでフリーランスとして独立しました。

ただこの時は、フリーランスとしての経験を積み研究をした後で、また元の会社に戻り、キャリアカウンセラーを極めるつもりではいたんです。本当、今でも好きな会社なので。

── フリーランスの研究って何をされていたんですか?

黒田:まずはフリーランスとして自分が食っていけるのかどうかですね。しかも、デザイナーやエンジニアというような「クリエイティブ職」であれば稼げるイメージもありましたが、納品物のない文系だとどうなるんだろうと思い取り組みました。

フリーランスになったのは稼ぐためではなく、文系であってもフリーランスで食べていけるかを検証するためでしたので、その目的のために「一番食えなさそう」な仕事を始めることにしました。

それが、「ディスカッションパートナー」だったんです。

納品物もなく、ただおしゃべりをしてお金をもらうことが本当に仕事になるのか。その検証実験の始まりでした。

── 文系フリーランスとして、実際に食べていけそうだと感じたのはいつ頃ですか?

黒田:確証を持った時期は定かではないですが、食べていけるかもしれないと思ったのはフリーランスを始めてから2ヶ月目のことでした。

その時は「ココナラ」という、スキルシェアの販売プラットフォームを使って500円の商品を販売してみたんです。あなたの会社のサービスにダメ出しを10個します、みたいな内容です。それが4~5個売れたんです。

その際、納品を素早く、質も高いなと思ってもらえるレベルのフィードバック(ダメ出し)をしていたら、そのクライアントさんがfacebook 経由で私のことを探してくれたんです。

「依頼したいことがあるから契約してくれ」というお願いでした。これがフリーランスとしての初受注で、時給単価6,000円ほどで請けることにしました。

これ、いきなり6,000円からですって言っても仕事は来なかったと思います最初は500円でもいいから信頼を勝ち取ることがポイントだったと思っています。

── こうしてフリーランスとしての活動が軌道に乗るわけですが、独立して1年半後ぐらいの2017年に「フリーランスナウ」というコミュニティを立ち上げますね。

黒田:現在は3,700名以上が参加している、フリーランスと案件を自動でマッチングさせるためのコミュニティになります。

これについては「ディスカッションパートナー」として新規事業の相談に乗っている中で自然に生まれたもので、実際に新規事業が動き出すとなると「人が欲しい」という現象になり、そこで「黒田さん、いい人いない?」になるわけです。

最初は私も一人ひとり紹介して、ちゃんとマッチングするかどうかに責任をもってやっていたのですが、お互いのニーズがマッチするのってけっこう難しいんです。

なので始まりは、知り合いのフリーランスを1,000人ぐらいをひとつのグループに招待して、そこの中に案件を投げられるような仕組みを作ろうという発想がキッカケでした。

── 今もそこに対して紹介手数料など、お金はもらってないんですよね?

黒田:マネタイズではなくて信用をためる場所という位置づけなので、どちらかというと「トラストタイズ(Trust=信用)」だと思っています。

基本的に自動で動く仕組みなのですが、うまくマッチングがされると感謝されるわけなんです、黒田さんありがとうって。

お金を儲けるところと、トラスト(信用)をためるところ、そして自分を高めるところは全部別々でもいいんじゃないかと私は考えているんです。

これを全部を一緒にやろうとするから、調整が難しくなったりするんですよね。

── そういう経験を経て、いよいよ2017年の11月に「議論メシ」が誕生ですね。ここでは「信用」も「自分を高める活動」も、「お金」もたまるようになっている感じます。

黒田:最初はお金の部分はそうでもなかったですが、今では200人弱のメンバーが在籍しているので、そういう意味では確かに「お金」もそうですね。

これが実際に機能しているのは、キャリアカウンセラーやディスカッションパートナーをしてきた経験もありますし、ベンチャーの社員、役員、起業、そして「フリーランスナウ」というコミュニティ運営経験があったからこそだと思うんです。

色々なことの総決算として「議論メシ」というオンラインサロンが生まれました。

── 価値提供と、みんなの経験の場と、リワードみたいなものが、すごい組み合わせで循環していて、本当に感動しています!

黒田:本当にそうなりましたね。今までクライアントからお金をもらっていたイベントなども、もらわなくて済むようになりましたし。

例えばですが以前、渋谷TSUTAYAさんと「渋谷TSUTAYA の今後の20年の展開」というテーマでディスカッションしに行ったのですが、お互いにお金を発生させずに実施したんです。

お金をもらおうとすると取引のようになってしまった警戒が生まれてしまうのですが、無料にしながらも「議論」の無料提供と、20名ぐらいの参加者を連れて伺うことができました。その代わりにTSUTAYAさんからはスペースを提供してもらうという仕組みです。

お互いにGIVE and GIVE できるじゃないですか。こちらは議論しに行きます、向こうはスペースと面白いテーマをくださいみたいな。

お金の話を企業としなくて済むようになったところもけっこう大きいですね。

──  ちなみにですが「議論メシ」も立ち上げの頃はめちゃくちゃ忙しかったと思うのですが、今はどうですか?

黒田:朝1時間タスクを諸々処理して、夜は2時間とかイベントに出たりして、昼間に1時間メンバーと会ったりしてます。なので、稼動は1日4時間ぐらいですかね。

お昼に人に会うのは、イベントの相談やコミュニティに入ったばかりの方へのオリエンテーションを対面かZOOMで行うようにしていました。

でも仕事という感じもしませんし、どちらかというとおしゃべりをしている時間の方が長い。そういう意味では仕事は朝の1時間のタスク処理だけですね。

── すごく幸せそうで、幸福度の高さを感じます。

黒田:おかげさまで、「こういうことやりませんか?」と誘われた時に即答ができるようにもなりましたね。やりましょう!って。時間に余裕がないとそれができなくなってしまうんですよね。

面白そうなのはやりましょうと即答です。面白くて「議論メシ」のためになって、お金になることはあまり考えないですね。

「やる・やらない」の意思決定はまず「やる」を基本にして、「続ける・続けない」をみんなで後で考えましょうというスタンスです。

── 最後に、黒田さんがこれからの「働き方」に対してどうなっていくと考えているかお聞きしたいなと思います。

黒田:あえて自分が本当に心から思っていることで言うと、みんなが熱中できること、没頭できることを仕事にするようになる、というのは普通に思ってます。

熱中、没頭できることを見つけること自体が資産になると思うんですよね。自分のことをどれだけ理解しているか、ということが非常に重要になってくると思います。

夢中でやってる人、没頭してやってる人には努力でまず勝てないですよね。私はディスカッションが好きでめちゃくちゃやってますけれど、人によってはそれが負担だと思います。

今ってマニアな時代だと思うんですよね。

── マニアな時代というのは?

黒田:人工知能では出せないじゃないですか、マニアなことって。なんでそんな非効率なことがそんなに大好きなの、みたいな。

偏愛とかってもうAIが手を出せない領域で、向こうからすると「もっと効率的にやったら良くない?」みたいな話なわけです。

非効率なぐらい没頭してしまえるのは人間だけなので、人間がマニアックに、マニアになっていって、それを仕事にしていくっていうところに未来のイメージが湧きます。

そのためにもコミュニティは必要だなと感じています。

お金を稼げる、自分を試せる、誰かの役に立てる。それぞれを分類して、コミュニティのポートフォリオを組んでいく時代なんだと思います。

── 自分ひとりじゃ必要なものを補えないから、仲間が必要ですよね。

黒田:好きなことを貫くためには、好きなこと以外のところを誰かと一緒にやらないといけないですからね。「コラボレーションリテラシー」みたいなものがすごく重要になってくると思います。

それがコミュニティかもしれないし、コラボレーションって言葉かもしれないですけれど。いずれにしても大事なことに変わりはないと思います。

── ありがとうございます。勉強になりました。

concept

“すべての人には「照らすべき一隅」があり、
「私は照らす光を持っている」という確信と、
「私にはその一隅を照らす責任がある」という
自覚を持つことが人を強くする”

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