林千絵さんインタビュー

コミュマネとは
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一般社団法人 コミュニティマネージャー協会では「人生を変える3つの指標」をベースに、メインの活動と並行してさまざまな活動をするポートフォリワーカーの取材を行っています。

人生を変える3つの指標

  • その1:お金の使い方
  • その2:時間の使い方
  • その3:人との付き合い方

この取材記事を読んで、副業のはじめかた、時間やお金の使いかた、最初の仕事のつくりかた。これらを自分に当てはめながら、新しい働き方のヒントにしていただければと思います。

今日は対談のお相手として、コミュニティマネージャーとして活動する林千絵さんにお越しいただきました。インタビュアーはライターの大崎博之です。

 

今日は【北海道での会社員時代】【東京での会社員時代】【コミュニティマネージャー時代】という3つのフェーズについてインタビューしていこうと思います。

── それでは千絵さん、どうぞよろしくお願いします。

千絵:よろしくお願い致します。

目次

北海道での会社員時代のポートフォリオ

プロフィール/林千絵 Community Manager / コミュニティを勝たせる裏側請負人。会員向け月額オンラインサービスの立ち上げから管理運営、イベントやキャンペーンでプロジェクトチームのマネジメントを数多く経験。一時のブームや流行ではない長く愛されるコミュニティを創りのサポートが理念。

 

── 現在はコミュニティマネージャーとして活動しているとのことですが、これまでにどのようなお仕事の経歴があるのでしょうか。

千絵:私は北海道の出身で、短大卒業後に調剤薬局チェーン店に就職したのですが、店舗での受付の仕事に「何かちがうな…」という違和感があり、2年ほどで転職することになります。

そこで見つけたお仕事が、札幌の中心部にある商業施設の企画宣伝室でした。現在のコミュニティマネージャーのお仕事にもつながっていますが、

  • 施設全体の販促企画・宣伝業務
  • 集客イベント・催事の新規開拓
  • 館内フリーペーパーの取材・編集
  • 会員向けメルマガの配信
  • PR業務全般

などを中心に担当していました。

── 当時の<お金の使いかた>というのはどういったものだったのでしょうか?

千絵:ほとんどが交際費に消えていたと思います。家に長時間いるということもなく、付き合いで飲み歩くことが多かったと思います。

それと、仕事にかかわる雑誌はとにかく買って読んでいました。女性誌、ファッション誌、情報誌、などなど。映画やお芝居などに出かけることも多かったと思います。

というのも、ファッションや流行に関してはコミュニケーションの材料になりますし、店舗開発やテナントの入れ替え時の知識としては必須なものばかりだったんです。

営業職というわけではなかったのですが、催事場の新規開拓や館内で配布するフリーペーパー制作のための取材、PRなど、店長さんやテナントオーナーとの接点は多かったですね。

支出の内訳としては、交際費が60%、自己投資に20%、生活費に20%という感じで、食事や住まいの環境にほとんど興味はありませんでした。

── 当時の<時間の使いかた>はどうだったのでしょうか?

千絵:仕事が3交代だったため、早番の日には18:00には仕事を終えられる環境でした。ですので社会人のチアリーディングチームに趣味の範囲ですが所属して、日々練習に励んでいました。

お金になるわけではなかったのですが、自分たちの披露をする場が欲しかったので、ほかのスポーツ団体やクラブチームの食事会に参加して親睦を図ったり、町内会のお祭りにまで営業に行ったりもしていました。

帰宅はいつも22時頃で、寝るのは1:00~2:00 だったと記憶しています。就寝するギリギリまで本や雑誌を読み漁っていました。

今だったらWebや動画を見まくっていると思いますね。

── ここまでのお話を聞いていると<人との付き合い>には、かなりのお金と時間を投資してきた印象があります。

千絵:社内での交流というのはほとんどなかったのですが、地元の友人、仕事で知り合った方や、そこで紹介していただいた方々といることが多かったです。

新しい情報が入ってくるのはもちろん、紹介ベースで新しい仕事を受注することも当時は多かったです。札幌はせまいので、人との付き合いかたというのはとても大切でしたね。

東京での会社員時代のポートフォリオ(出版部門)

── その後、北海道を離れて東京へ就職したと聞いています。

千絵:新宿にある小さな「輸入雑貨の専門商社」へ転職しました。20代のうちに東京で働きたいという思いが強くなったことがキッカケです。

CVS(コンビニチェーン)向けオリジナル出版部門に所属し、販売予測システムを社内で構築し、データをもとに安定した商品供給ができる流れを作るというようなことをしました。

ポジションは企画営業の立場で、編集長をサポートする秘書のような仕事内容でした。この部署には4年ほど在籍していました。

── 転職して東京で暮らすことになったわけですが、その頃の<お金の使いかた>は北海道にいた頃と何か変わりましたか?

千絵:札幌にいた頃はとにかく交際費と自己投資に給料のほとんどを使っていましたが、東京に来てからは「貯金」へほとんど回していました。

というのも、東京に来てまもなく空き巣に入られてしまって、お金がスッカラカンになってしまったんです。わざわざ札幌から選んで持ってきた思い出の品や大切にしていた時計などもすべて持っていかれてしまって。

それまでは「モノを所持すること」に少し執着があったのですが、こんなに簡単にモノってなくなるんだなって価値観が変わったんですね。それからは「モノ以外で残るものは何か?」という意識になりました。

とはいえ当時はまだやりたいこともなかったので、何かやりたいことができたときのために「貯金」という選択をしました。

── お金が交際費や自己投資に回らないとなると、必然的に<時間の使いかた>や<人との付き合いかた>も変わってきそうですね。

千絵:9:00に出社して、23時に退社するというような状態が続くようになったこともあり、交際費というのはほとんどかからなくなりました。

急な残業も多かったので人付き合いもなくなり、社内の人とたまに22:00とか、早めに上がれるときに飲みに行くぐらいでしたね。札幌で働いていた頃とは真逆の生活です。

東京での会社員時代のポートフォリオ(クラフト部門)

── 出版部門で朝から晩まで働くスタイルはいつぐらいまで続いたのでしょうか?

千絵:入社して5年目に社内の異動があり、新規で立ちあがったペーパークラフトを扱う部門へ転属。プロモーションリーダーを務めるようになるのですが、そこからはさらに忙しくなり毎日がヘトヘトでした。

結局、出版部門で4年、クラフト事業部門では2年ほど働いて退社という形になります。

自己紹介をするとよく「もともとクラフトが好きだったんでしょ?」とかんちがいされるのですが、実際はまったくそういうこともなく、知識もネットワークもない中で市場の開拓や商品のプロモーション、サンプル作りをするようになります。

── 新規事業の立ち上げを、知識もなにもない状態からプロモーションリーダーとして働くのは大変だったのではないでしょうか?

千絵:今でこそ東急ハンズさんでどこのブランドの材料が手に入るとか、そういったことがわかりますが、当時は業界のことも販路についてもまったく知識がなかったので本当に必死でした。

クラフト業界の大御所の先生たちにメールを送ってはアポを取り、恥を忍んでの飛び込み営業をしていました。知識もないので自腹でワークショップなどにも参加するようにしていて、東京から大阪や仙台ぐらいまではポンッと新幹線で足を運んでいました。会社を通さず個人でね(笑)

── 出版部門からクラフト事業部門に転属してからはまた<お金の使いかた>も変わったのではないでしょうか?

千絵:給料の50~60%ぐらいはスクラップブッキングの勉強代として使っていたと思います。海外で流行しているクラフトなども知っておく必要があると思ったので、個人輸入の形で商材を購入したりもしていました。

それでも最終的には採算の取れない事業にはなってしまったんです。給料はもらえていたけれど、自分の会社でのポジションが危ういという状態。

ほかの事業部でも煙たがれていましたね。余計なものを社長が仕入れてきた、そのうち自分たちにもしわ寄せがくるんじゃないかって。

それでも続けていたのは、地方出身者だからあいつはダメなんだと思われたくなかったし、男性が多い会社だったので「女だからダメ」とも思われたくなかったんです。完全に義務感だけで働いていました。

※結婚後の社宅住まいで家賃負担が減る。マンション購入の頭金用で貯金を少額でスタート

── 当然、時間の使いかたや人付き合いも変わってきますよね?

千絵:その頃に私は結婚もしているのですが、主人からは「なんでうちの奥さんはこんなに休みなく働いているんだ?」とギモンだったみたいです(笑)

出版部門にいた頃にかろうじてあった社内の人たちとのつながりもなくなり、 ほとんどの時間を勉強やアポ取り、営業に使っていました。人との付き合いも業界の人たちとの接点をつくることに費やしていましたね。

へとへとの記憶しかないのですが、これが今の自分につながっているとしたら講師の先生方と一緒に講座を作ったり、対等であり下請けにならない付き合い方、自分が目下であっても相手の条件を100%飲むようなことはしないというコミュニケーションの取りかたを意識してきた経験にあるかなと思います。

雇われコミュニティマネージャー時代のポートフォリオ

── ここから、どのようにして現在の独立して働くコミュニティマネージャーの状態になっていったのでしょうか?

千絵:かなり身体に負担をかけてきたんだと思うのですが、突然、大人のアトピーを発症して体調が悪化するんです。

お医者さんからも「ストレスの原因になっているものを絶つことが一番いい」という指導もあり退職することに決めたんです。

そこからしばらくは失業保険をもらったりしながら、これまでの経験を活かしてクラフト作家として親しい作家仲間とウェディング業界に参入しようと試みたりしたのですがうまくいかず。

派遣社員の仕事をしながらいろいろな世界をみていく中で偶然、ものづくりや好きなことを仕事にしたい女性を応援する会社と出会い、たくさんの女性の夢や未来を下支えする裏方のお仕事を始めるようになります。

これが今でいう「コミュニティマネージャー」としての働き方でした。

── 具体的にはどのような業務を担っていたのでしょうか?

千絵:ものづくりを仕事にしたいと考える女性に対して、起業、ブランディングなどを教える塾を運営する会社で、当初は事務所の整理などかんたんなお仕事をしていましたが、ある時から在宅の形でサポート業務をするようになります。

当時はUstream というライブ配信が流行っていたので、社長でもあるオーナーと番組制作をしたり会員制の動画講座を作ったりして、現在のオンラインサロンのようなものを一緒に構築したりしていました。

顧客管理、クレーム対応、決済回り、コンテンツの更新や説明を考える、外部講師とのやりとりなど、オンラインサロンの運営に必要なことは一通りやりましたね。

数百名いる会員からの質問やお問合せの窓口になり、その中で動画だけでなく個別でのコンサルティングが必要と判断すれば有料コンサルの提案をしたり…。売上につなげる役割も担っていました。

ペーパークラフトの仕事をしていた暗黒時代に身につけたスキルが、ここにきてものすごく役に立ってきたんです。

── 雇われコミュニティマネージャー時代には、どのような<お金の使いかた>をしていたのでしょうか?

千絵:勉強代として、自己投資にお金をまた使うようになります。

というのも、コミュニティの運営をしているとコンテンツの良し悪しだけでなく、会員様の解約率を下げ続けさせることの重要性なども実感するようになったからです。

当時はまだそういったノウハウがない頃だったのですが、そんな中で数少ないコミュニティの専門家として中里桃子さん(一般社団法人コミュニティマネージャー協会の代表理事)と出会うんです。

── 時間の使いかたや、人付き合いについてはどうでしょうか?

千絵:社長あるあるかもしれませんが、突発的にひらめいたアイデアや思いついた企画、広告宣伝など、すぐに形にしないと気が済まないタイプの方だったので(笑)

在宅での仕事ということもあって私には言いやすかったのか、昼夜問わずに連絡がくる状態で24時間体制での対応が必要でした。

人付き合いについても「私のスタッフなのだから私のためだけに動くのは当然」という考え方をする方のもとで働いてたこともあり、ほかの人の仕事を手伝うことは裏切り行為=悪なんだといつの間にか思い込むようになっていた時期でした。

そんな価値観がこりかたまった世界に6年ほどいたこともあってか、中里さんの主催する講座に出たり、外の世界の人たちと触れ合うことが増えていく中で「フリーランスとして独立しよう」と考えるようになり、その方のもとを離れる決心をしたんです。

フリーランスとして独立後のコミュニティマネージャー時代のポートフォリオ

── 独立をすると最初によく言われるのが「集客ができない」という壁があるという話ですが、そのあたりはどうしたのでしょうか。

千絵:女性向けの起業塾でお仕事をしていた時代に、私の仕事のやり方をみていてくれた方がいまして、そういったところから紹介でお仕事をもらえるようになりました。

本当は起業の準備などもしっかりさせていきたかったのですが、ありがたいことに次々とご紹介をいただいて今に至るという流れです。

── 独立されたことで<時間の使いかた>などは変わってきましたでしょうか?

千絵:まず今のお仕事状況として、飲食業をしているオーナーさんのところでSNSの運用やPRのお手伝い、そのほかWebマーケティングのコミュニティを2本と、占星術の講師をしている方のコミュニティ構築準備、メルマガや高額講座の運用サポートをしています。

基本的には午前中に各オーナーさんのスケジュールをすべて確認し、メール対応などは作業を区切りながらその日中になるべく終わらせるようにしています。

その後は19:00ぐらいまではコミュニティマネージャーとしてのお仕事を在宅でする形ですが、各オーナーさんのプロモーションが重なる時期などは、23:00頃にもう一度パソコンを立ち上げることもあります。

とはいえ、以前のようにガチガチに縛られるような働き方ではないため自由度は高くなりました。一社で長い時間働くよりも、複数社で働くほうが気持ちの切り替えもできますし、何よりも楽しいです。

ちょこちょこ外出もしています。時給単価も上がりました。

── 今後はどのような活動をしていきたいとお考えでしょうか。

千絵:理想としては、今やっている業務を細分化して、もっといろいろな人にコミュニティマネージャーの仕事を知ってもらい、得意な分野で仕事を振っていきたいなと思っています。

コミュニティオーナーさんがお仕事を振ってきてくれたときに、自分には時間がなくて不得意なことであっても、そこに強力な助っ人がいる場合には面倒くさがらずにお願いしていきたいなと思っています。

コミュニティは、オーナーだけじゃなく、マネージャーもいろんな面を出せるのが面白い仕事。会社が「ひとつ」だけだと自分も「ひとつ」のままだけど、まったくちがうところに入って役割をもらって働くスタイルは面白いと思うんです。

「コミュニティは人生の選択肢を増やし続けてくれる魔法のツール」。

私のように決してすごくない普通の人であっても活躍のチャンスがある。そのことをメッセージとしてもっと届けていきたいなと考えています。

編集後記

今回取材をさせていただき強く感じたのは、お金をどこに使うかによって時間や人付き合いも大きく変わるということ。

千絵さんの場合には、自分がかかわっている人たちにより良い未来を味わってほしいという想いから自己負担での勉強や自己投資を繰り返し、その結果として自分のスキルだけでなく人からの信用・信頼を勝ち取ってきていました。

よく「GIVE & TAKE」ではなく「GIVE & GIVE」が大切という話を耳にすることもありますが、千絵さんはまさにそれを体現した生き方をしてきた結果、今のコミュニティマネージャーの仕事につながっていると感じました。

泥臭いようですが、目の前のお客様を喜ばせる仕事をしていればその仕事ぶりを見ている人が必ずいて、そこから紹介も生まれる。

そういったことを感じさせてくれた対談インタビューとなりました。

こんな方に読んでほしい記事です

  • ゼロから何かに挑戦したいと考えている人
  • お金をどうしても自分のためだけに使ってしまう人
  • 特別なスキルがなくても自分の人生を変えていきたいと強く願う人

 

concept

“すべての人には「照らすべき一隅」があり、
「私は照らす光を持っている」という確信と、
「私にはその一隅を照らす責任がある」という
自覚を持つことが人を強くする”

当メディアは、
「目立たない仕事だけど重要な仕事である」
ということを伝える、あなたらしい選択肢を作るメディアです。